失敗・アップデート・ドドド

結構キツい失敗をしてしまった。

僕は、本質的な部分では、すごく理想が高いというか、完璧主義的なところがあるタイプの人間だ。一方で、その理想の高さに対して、それを実現するための各種の技術が伴っておらず、だいたいいつも理想は実現しない。

そういう性質に自覚的になったのは、大学の後期課程に進学してからだ。専門的な教育が始まる中で、僕は大きな挫折を経験した。理想や拘りはあるのに、現実の自分が生み出す成果はひどいものだった。そのギャップに苦しみ、また他の多くの問題も重なる中で、心が壊れて何もできなくなってしまった。

壊れた状態からやり直すために僕が実践したのが、理想や拘りをいったん捨てて、「とにかく行動を起こす」ということであった。具体例を挙げるならば、メールはガバガバでもいいからできるだけ早く返す、悩み事は不器用な形でもいいから人に相談する、成果がまともな形にならなくても発表の場から逃げずとにかく何かを持って行く、などだ。
もっと言えば、この実践は日常生活のあらゆる部分で徹底して行われていたので、2020年以降の自分の行動のほとんど全ては、行動変革の実践に含まれるとも言えるのだが。

このような実践は、良いか悪いかは別として、自分にとってはある種"それしかない"類のものだったと理解している。つまり、一番深刻な状態にあったときの僕が、何とか必死に生きようとしてたどり着いた、それ以外にはあり得ない唯一の答えだったのだ。だから、そこに対して良し悪しという価値尺度を用いることはあまり意味がないのかもしれないと考えている。

一方で、少し時間が経過した今の時点から、自分の行動をレビューして客観的な評価をし、今後の行動に活かしていくことは重要だ。

そういう視点からすると、「とにかく行動を起こす」というのは、これまでの部分では一定の成果を上げてきたし、またそれによって問題を乗り越えた部分も大きかったため、間違いなく価値はあったと考えられる。
例えば、行動を起こした結果として、それまで知らなかった場所に行って知らない人と関わる機会が生まれ、それによって自分の研究が劇的に進んだようなことがあった。それ以外にも、勢いで始めた趣味の活動が実を結んで、多くの人と出会ったり新たなことを学んだりすることができた。
また、自分の心と身体が壊れてめちゃくちゃになっている状況下では、緻密な計画や入念な準備に基づいて何かを完遂するというのは、そもそも困難だ。だから、ある種の勢いに任せて行動をするというのは、確実な成果を生むためにも合目的的であると言えるだろう。

その一方で、そうした行動が他人の顰蹙を買いやすいというのは事実だ。

これまでもそういう場面は何度もあり、それで苦しい思いをすることがあったのだが、今回ははっきりと苦言を呈されるようなことをやらかしてしまった。

礼儀作法がなっていないことを指摘された部分について、謙虚に反省してそこはまた修正していくしかない。一方で、もっと根本的な部分では、上で書いたようなバックグラウンドだったり、自分の深い部分にある性質(例えば空気を読むのが苦手とか)の問題もあるから、自分の生き方を変えるというようなことは無理だし、それはしなくてもいいことだろう。

自分ではない完璧な誰かになるなんて無理なんだから、個別具体的な作法や技術を習得して、自分をアップデートしていくことくらいしかできない。

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キツい心境の中で、大学の構内を散歩しながら『ド!ド!ド!』を繰り返し聴いていた。

今作っている同人誌の自分の論考で、キャラクターソングが自分に与えてくれるものについて次のような一節を書いた。

それは、純粋で混じりけのない、どこまでも澄んだメッセージだ。澄んでいるからこそ、それは私の心に強く強く訴えかける。もしかしたら、いつか自分が絶望の淵に立たされたときに、その〝絶対的な前向きさ〟が自分を救ってくれるかもしれない。そんな未来の可能性すら信じたくなってくる。

「いやさすがにこれはちょっと言い過ぎたかな」と思う自分もいたのだが、今日のことを踏まえて、少なくともこれは自分にとっては紛れもない真実なのだろうと思った。

今日の涙がいつかのやさしさにつながるように。

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