60%

お昼に散歩がてらコンビニに行ったら、驚くべき体験をした――コンビニ内に存在する商品やPOPの文字列が、いつもとは全然違った見え方で頭に飛び込んできた。それは端的に言えば、アナログ放送がデジタル放送に切り替わったような、そんな突然の解像度の上昇だった。

これまでにも何度か同じような経験がある。例えば、大学2年生のときに空間の寸法を測り方を覚えようとしていたときに、部屋や道路の見え方、感じ方がぐわっと変化したことがあった。他には、3年生のときに一週間くらい集中的に団地の模型を作成していてそれに脳のキャパが埋め尽くされていたときは、電車の車窓から見える建物がスチレンボードにしか見えなかった。

要するに、何か新しいものを体得するとき――それもとても密度の濃い時間を過ごしているときに、自分の中の“何か”が劇的に変化して、脳の外界の情報の捉え方も変わっているということなのだと思う。

ここ数週間、特にこの数日はひたすら組版をして過ごしていたから、そういう時間の過ごし方が自分の変化に繋がったのだろう。

何かを体得しているという意味ではそれは必ず起こり得ることで決して悪いことではないと思うのだけど、同時に、自分の経験上、そういう現象が起こるときは身体が黄色信号を発している状況でもある。そういう現象が起こるときは、たいてい身体(というよりも自律神経?)がかなりくたびれていて、その直後に作業のパフォーマンスが著しく低下する。

案の定、今日は昨日までに比べると、パフォーマンスが60%くらいしか出ていない。今日が山場なので、何とか乗り越えたい。

昨日自宅で作業をしながら、ずっとBGM的に『SHIROBAKO』を流していた。この二年間の人とのモノづくりの経験からか、作品の見え方が昔とは違っていて驚くような部分があったのだけれど、いかんせんBGM的にしか見ておらず、特に感想のメモなども取っていなかったので、自分が何を感じていたのかすぐに思い出せない。残念……