45日間

昨年末の大晦日は、コミケ出展からの新幹線での弾丸帰省という非常にせわしない一日だった。そして、その翌日、朝から神社へお参りに行ったり親戚周りをしたりとバタバタと過ごした後に、例の地震が起きた。避難所への避難など慣れないことをして元旦を終えた。

翌日、テレビを付けると、そこには恐ろしい映像が写っていた。揺れが激しかった地域ではそういった光景が広がっていることはおよそ想像がついていたが、実際にテレビでその光景を目にして言葉を失った。

二日の夜、羽田空港での事故の映像が流れてきた。父親とその映像をリアルタイムで見ながら、またしても言葉を失った。その他にも、北九州での火災など恐ろしい事件のニュースが連日報道された。

このままニュースを見ていたら心が耐えきれなくなって壊れてしまう。そう思って、ニュースの情報や映像から距離を置いた。まずは、自分の目の前にあるタスクをしっかりこなさねばと思った。

目下のタスクは、大学院の講義の課題をしっかり片付けて、かつ自分の研究をしっかりと進めることであった。まだ途中ではあるが、本日を以ってどちらにも一区切りを付けることができた。

この間、多くの出来事も起こっていた。地震の影響で実家の今後が大きく変化しつつあること、またプライベートでの諸々。それらについてこのブログで取り上げるつもりは今のところない。ここでは、そうした出来事もフラットに受け止めることができた、ということだけ記しておこう。

1月1日からの45日間は、努めてフラットな感情で過ごしながら自分のやるべきことをしっかりこなせた日々だったと言えるのかもしれない。

今日の帰り道、23時になって静まり返った坂道を、ブルーハーブの「AME NI MO MAKEZ」を聴きながら歩いた。今日はよくやった、明日もまたやっていこう、という感慨が湧いてくる。同時に、自分の心が満ち足りていくのを感じる。それはきっと、そんな風に感じられること自体を自分が尊く思っているからだ。とても素朴な幸福だ。

自分は少しずつ大丈夫になりつつあるんだろう、と少なくともこの瞬間は思えた。

だからこそ、そろそろ、2024年1月1日の正午あたりで止めていた時計の針を動かさなくてはいけないのだろう。ニュースを見て、現実を直視しないといけない。