躓く箇所は、日常の至るところに転がっている。例えば、人と話すとか、集合場所に行くとか、そういったレベルの出来事の中で、毎日10-30回は、ディスコミュニケーションや段取りのミスをしてしまう。あるいは、特にディスコミュニケーションについては、自分が「ミス」と認識していないものも含めれば、その数はもっと増えるのだろう。ともかく、自分がその「ミス」を認識する度、心がしんどくなる。
そういうミスの発生自体を除去することも大事だが、自分の場合は、ある程度そういったミスが発生することは割り切っている。ミスが生じることを前提として、その上でどういう風にやりくりをしていくか、ということを考えている。
ミスによる心の痛みについては、毎回しっかり心を痛めて、その度に立ち上がればいいという脳筋マインドになってしまった。そうやって生きていくことが自分のカルマなのだろうと、もう受け入れつつある。
でも、たまにどうしようもなくなって、ただ我を忘れて声を上げて泣きたくなるときもある。今がそのときかな。
できることなら、ちゃんとリスペクトされて認められたい。
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バックホーンの「ひょうひょうと」を聴いてちょっと泣いた。
光の中行くのなら 心には三日月を
さらされし道こそ 静かに見据える闇の荒野行くのなら 心には太陽を
力まかせ信じて 強く踏み出せ所詮この命 意味などない
守るべきは何なのだ 正義でも他人でもなく
体刻んだ夜の痛みかもしれぬ時が来たのなら 命などくれてやる